1974年のストリーク

先日、偶然こんな記事を読んだ。

石丸謙二郎 オフィシャルブログ "ストリーキング"

石丸謙二郎が、日本で最初にストリーキングをやらかしたのは俺だと主張しとる、なんとも野太いエントリである。俺は誰も脱がない世界よりは誰かが脱いでる世界のほうが面白いと思っており、したがってこういう話は大好きなのだ。

面白いが、しかしほんまかいなと、とりあえず図書館に出向いた。新聞の縮刷版を見て確認しようと思ったのだ。

近所の図書館へ行ってみると、新聞縮刷版は閉架扱いになっていた。とはいえ閲覧手続き自体は非常に簡単で、探し始めて10分後にはお目当ての本にありつけた。

で、結果だけ書く。

1974年 3/14(木)の東京版朝日朝刊19面に、以下のような記事が載っていた。




原宿にもストリーカー

みたくもないのに、みちゃいましたよ、ストリーキングってのを。十日日曜日の午後二時五十分ごろ。原宿の表参道。歩いてたら、ホイ、ホイッと声をかけて後ろからきたのがいる。ヘンな声だから、頭がおかしいんじゃないかと振り向いたら、例の、話に聞いたヤツでした。男で、一人でした。(後略)

-東京都渋谷区の会社員(三九)から。




この頃の朝日の社会面には、なんか読者からの連絡に基づいた投稿コーナーみたいなやつがあって、この記事はそこに載っていたのだ。

ちなみに「例の」とか言ってるのは、3/3あたりの朝刊国際面と、3/10の朝刊と夕刊の社会面、および3/12朝刊の社会面にストリークについての記事が載ってるんである。

ちなみに3/12の記事は、3/11に沖縄で国内初とおもわれるストリークが確認された、みたいな通信社の配信だった。残りは海外の記事である。



まとめると

3/10 石丸謙二郎ストリーク実行

3/11 沖縄でストリーク

3/12 沖縄でのストリークが国内初として記事になる

3/14 石丸謙二郎ストリークが記事になる

というわけで3/10に脱いで走った石丸謙二郎がキングである。以上。




ところで、文脈をある程度抑えたかったので1974年 3/3の朝刊から目を通したんだが、3/3朝刊のスポーツ面「ヤング登場」というものすごいタイトルの欄に、先ごろ神戸の監督をクビになった西野朗がデカデカと載っていてちょっと驚いた。当時高校3年生である。その記事によると、西野は浪人してでも早稲田に行く!と意気込んでいたのだが、いま調べると1978年教育学部卒だそうで現役で入ったんだね。

大学入学関連では、江川が慶応を全敗しててこれには笑った。

映画はダーティーハリー2に燃えよドラゴンスケアクロウやってました。鼻血出そうである。

ちなみに武蔵野館では卒業やってました。今調べたら1967年の映画なので、リバイバル上映なのね。