2011 J1 第17節 浦和 3-0 福岡

行き

17:00前に横浜の作業場所を飛び出して京浜東北線で王子まで出て、乗り換え。さいたまの最寄り駅(駅名忘れた)に着いたのは試合開始15分くらい前だった。下駄に履き替えてスタジアムまでテレテレ歩く。開始後10分くらいにスタジアム着。

試合

重症だねえ。勝負パスやシュートが、これでもかってくらいガチガチにこわばっていて、柔らかく抜いたプレーが一切ない。なにから何まで全力すぎて、あれじゃ点は入らない。

必死に頑張ってるからねえ・・・どっちのチームもよろしくない出来ではあったが、かのチームは5の力があって2しか出せてないのに、福岡はそもそも2の力しかなくて悪コンディションのなかギリギリ頑張って1.8くらいを搾り出している。

泣けてくる。

いいように勝ち点を奪われること、そして奪う側のニカニカ顔と弾む声が俺には耐えられない。毎回毎回このド金満どもが・・・惨めな末期を辿りやがれいと心のなかでつぶやきながらスタジアムを後にするのだが、そのこと自体のちんけさ・しょうもなさにも嫌気が差す。そうして俺は何かをようやっと我慢しているのだが、一体何のために何を我慢しているのかわからない。

そりゃ、ホームの動員が減るわけだよなぁ。なにからなにまで悲痛なだけだもん。

帰り

帰りの電車の中で服が臭い奴がいて、それが本当に嫌だった。見知らぬ誰かの服が臭いってだけで人間はこれだけストレスを感じるものなのだなあと思った。

示しがつかない、とはよく言う物言いだが、そうして俺は「こりゃ示しがつかねえなあ」とついウッカリ思ったりしているのだが、それは一体誰が何に対して行うべきなんですかね。つまり「この体たらく」は本当に体たらくなのか、ということだ。それがチームが勝てないことであるならば、違うだろう、と思う。

何が示されるにせよ、本当に意味があることが行われることを望みます。

週末の試合が終わったあと、レンタルで来てくれている選手が涙していたそうだ。本当に申し訳ないことだと思う。

死ぬほど走ったところで、埋まらないものは確かにあるのだ。

それでも走るしかないのだけれど。