川勝新監督とその他のお話

決まりました。正直、ほっとした。このなんとも難しいだけのダメチームの監督をこの時期によく引き受けてくれたと思う。

この状況でオファーを受けるのは、損得でいうと損になる可能性がとても高い。戦力は整ってないし、それが向上する可能性は低いし、フロントはアレだし、サポーターは内ゲバに必死だし、なぜか思い出に浸っている関係者がいる始末だ。

今のところ、明るい未来は描きずらい。そんなチームの監督になりたい奴なんていないと思う。

その損をあえて引き受けてくれたのだ。ええい、仕方ねえな、俺がやったるわいというほとんどヤケ気味の心意気と男気がないと出来ない決断だと思う。

松田前監督と選手たちは大人の関係になりきれなかったと思う。監督が「前に行くな」というと選手たちはきっちり引いた。監督が「放り込め」というと選手たちはきっちり放り込んだ。そうでない選手は、切られ、干された。まあ切り、干すのはどの監督でも一緒だ。それ自体は悪ではない。

しかし、監督とその手の内に残った選手たちとの関係は、どこか部活の先生と生徒の関係に似ていた。

そういえば松田前監督の最後の挨拶の描写やノブリュウに漏らした言葉は、転任する学校の先生とその生徒の姿そのまんまだ。

監督と選手がそういう関係だったのは松田前監督に原因があるとも、選手たちが幼かったとも一概にいえないと思う。組み合わせの妙なのかなんなのか、とにかく、松田前監督と選手たちが向き合ったとき、生まれた関係はそういうものだった。

だけど、フットボーラーは最終的には自分の判断でピッチ上のアクションを起こし、リスクを犯すときは自分の責任で犯すものなのだ。埋めるべきスペース・マークすべき相手を放り出して、行くときは行くものなのだ。

言われたとおり居なければいけないところにいつまでも居たら、いつまでも何も起こらない。放り込めといわれてただ放り込んでいても跳ね返されるだけだ。

松田政権下、福岡の選手はそういうフットボーラーっぽい気概に欠けていたと思う。責任感と従順さがある分、リスクを負って駆け上がる意思が欠けていた。厳格な先生と従順な生徒たち。松田アビスパはそこで終わってしまった。

そんな選手たちがコワモテな川勝新監督とどういう関係を持ち、どう変わっていくのか。怖いような楽しみなような気分が今はしている。