ここ一週間ばかりちょっとロクでもないことばかり考えたりやらかしたりしていて、それはいいことではないんだけど、そうしてないと考えない・思わない・気づかないことが二つほどあった。
blogでもチラシの裏でもなんでもいいんだが、いつか書きたいと思っていて結局書きそびれてたのが、新宿CISCO閉店のことと、その後のCISCO全店閉店のことだ。(あとは「殺人の追憶」と「母なる証明」についても書きそびれているな。そんくらいか。そんなもんだな。ハァ)
まあ俺がド一(いち)消費者としてのCISCO回顧文を書きなぐったところで恥ずかしいだけだし、そこで書いておきたかったことは、俺と全く違う質と量の熱意と気合と遊び心で生産・流通・消費にコミットした人たちがとっくに印象的に感傷的に分析的にケリをつけた上で書き残していたから、どうにも書きようがなかった。
"・・・勝手に、新しいDJ予備軍やヴァイナル・ジャンキーたちがたくさん生まれて、またそういう若い世代が食費削ってでもレコードを買いまくってるにちがいないなどと妄想していた。"
今の俺は、往時のCISCOが扱っていたようなマテリアルに表象される「文化」を積極的に消費はしていないし、正直そういう「文化」を気にもしていない。そんなわけで、今ドキの若い子がどういう場でどういう音楽を聴いているのか、まるで知らない。
ただ、だ。たとえばshinkawaくんは今でも毎週どこかのハコで朝方プレイしていて、若い連中はそれ聴いてフロアでウハウハしたりクネクネしたりしているんだろう、となんとなく思っていた。思っていたっつーか、気にもしてないわけだから思ってないんだけど、「そうではない」というのは全くの考慮外だった。
が、たまたまshinkawaくんの活動が、どうも様子が俺が思い込んでたのと違うと気づいた。実質的な活動休止でないのこれ・・・
正直、この7,8年で何があったのかWeb検索だけではよくわからん。単にフロアに支持されなくなっただけなのかも知れないし、それ以外の理由かも知れん。まあ、いずれにしてもそれ自体は「仕方ない」ことだ。
ただ、色々検索してみて、もうshinkawaくんやYo-Cが一線でプレイしてないことだけじゃない。automaticsのものすごい湿気と窓から見た新宿、朝方の匂いや焦燥が、delightにドカっと置かれてたジャイアンリサイタル用みかん箱みたいなお立ち台が、○○同士の殴り合い(というか引っかきあい)が、ハコ自体が爆音で揺れていたことが、クソ暑いマニアックのフロアに上のテラスから掛けられた水がムチャクチャ気持ちよかったことが、club venusだったかで最後の最後にミラーボールを廻したのが目に刺さるくらいキレイだったことが、そして夕方のシステクにどこかで見かけた奴がわさわさ集まっていたこと、レコ屋レジ脇のフライヤーを眺めることが、ほぼ「なかったこと」になっているように思えたのが・・・・・そう、寂しかったんだな。うん。
それはきっと、クラブミュージックなんてやっぱり刹那的な消費物であって、その流通・消費の現場であるレコ屋やクラブやフロア周辺の事情なんざ、言ってしまうとティッシュ一枚程度に薄っぺらく儚い、文化といってもせいぜいが「消費文化」なんですよ、ということだ。なかったことになったところで誰も困らないでしょ、ということだ。
# 同系統の「音」が無くなったということではない。念のため。
でもなあ、もうすこし何か残っててもいいんじゃないの。当時のフロアで人生が狂った奴も大勢いるだろうが(フハハハハハ)、それと同じくらい、そのお陰でなんとか次の週まで生きれた奴もいると思うのですよ。そんなことなかった?違った?
もう一点。ここ最近、東京の「欲望の総量」が減ってきている気がしてきました。
根拠はちょっと・・・・書けません。
皆さんはどうお感じですか。