笑えるクラブ

「大池だより」というblogに、サイラーさんが、先日実施されたサポミ後にしゃべった内容が収録されていた

サイラーさんはアビスパ福岡の公式スポンサーだ。

読んで笑った。

『どれだけ提案をしたと思う?クラブに対してサポーターや集客を増やすための提案はいくらもしたよ。でも検討します。でオシマイね。』

博多の森のマッチデイニュース程ツマらないものはない。もちろん公式サイトもヒドい。見る気もしない。公式見る位なら「パス&ゴー」の方がはるかに出来がいい。これまでクラブに多くの提案したけど。自分の身を考えてるだけで何の改善もない。』

『何も利益を出す必要はない。雑誌は実費で販売すればいい。クラブに言うと、「余ったらどうしますか?」というバカな返事するんだ。』

笑ってる場合じゃないんだが、ほんとに笑ってしまった。アビスパってほんとに面白い。

大分の溝畑社長は、「現代の肖像」で浅草キッド水道橋博士を書いたことで俺的に有名な木村元彦にこう言ったんだそうだ。

「これまでスポンサーとメディアの方しか見ていなかったかという反省はあります」(「世界を一蹴」第14回)

なるほど、それはダメですね。

支持してくれる人すべてが大事なんですよ。反省してくださいネ。

しかし、これがダメならば、スポンサーの方すら見てないアビスパというチームはいったいどれだけダメなんだろう。お前らいったいどこを見てるんだ?なあ、一度本音を教えてくれ。

「世界を一蹴」にはこういう一節があった。

「芸に対する定義っていろいろあると思うんですよ。立川談志師匠なんかも言っていますよね。『人間の業の肯定』とかね。その中で俺はこう考えています。芸とは、『連綿と続く意志の継続』だと」(「世界を一蹴」第19回:水道橋博士の発言)

フットボールクラブが芸を追求しているかどうかはともかく、意思の継続ですよ。連綿と続く、ですよ。

これですよ。

そして、大変だなあと思う。

木っ端部長や木っ端社長を追い払うことは出来るかもしれない。だけど、本質的にはこの屈辱の記憶とそれに対する意思がクラブ内で世代を超えて連綿と継続される仕組みを作らないといけない。つまりは社長や経営幹部の選考過程が変わる必要がある。ため息が出てしまう。他人の会社の人事制度を弄れるかって、普通弄れるはずがない。

でも、意欲と能力がある人が経営に加われるようなしくみができなければ、また新たな木っ端部長や木っ端社長が暴れに来るだけだ。

それにしても最近の博士は必殺のフレーズを量産しまくっててほんとにカッコイイよ。良かったら今度 散歩の帰りにでも家に遊びにきておくれ。