映画「ポエトリー」と、口角泡を飛ばしてアイドル映画に大興奮してた宇多丸さんへの雑感

単に先週末のウィークエンドシャッフルの録音を、映画の前後に聞いてたってだけなんだけど。

銀座の映画館に行く道すがら、ウィークエンドシャッフルを聞く。銀座一丁目の駅を降りたあたりでシネマハスラー。物凄い早口でなにやらくっちゃべっている。というか、この人、明らかに興奮していますな。なんだなんだ。

映画館に入ってびっくり。お客さんは60超えた女性が大半なのだ。なんだなんだ。PG12とかって書いてあったけど、54歳以上に見せていいのか?止まってたものが始まったりせんか?大丈夫か?

雑感は・・・なんか消化できない。

携帯の着信音、部屋でクソガキが聴いてる音、カラオケの音、なにもかもが醜悪に録ってあって、ほとんど唯一の例外は教会で歌われた聖歌だった。シークレット・サンシャインでもカラオケのシーンありましたね。あれは爆笑できたけど、この映画のそれは・・・なんで歌ってたんだ、アレ。そういえば。ま、明らかに笑えない。どんな効果があるのかというと・・・65歳でアルツハイマーで孤独でロクデナシのクソガキの面倒を見なきゃならない人が一人ぼっちで歌うとこういう感じなんだろうなあ、という感じ。つまり、的確なんですな。

シークレット・サンシャインでは聖なる某と俗な某をパキパキと対比しながら進んでったが、この映画は・・・なんというのか、俗な描写は不鮮明で曖昧。聖の描写はもっと曖昧で、なんというんですかね。終末観みたいなイメージがなんとなく安心できるものとして提示されていて、それが救いに思えるかというと全然そんなことない。せいぜい気休め。せいぜい時間つぶし。なんというか、曖昧な俗と曖昧な聖がいっしょくたに右肩下がりに転がってくのです。

認知症患者はボケていき、強姦魔は強姦し、恐喝犯は恐喝し、育児放棄者は育児放棄し、貧困者はカネに屈する。そんな世界での右肩下がりの行きつく先は当然言わずもがなですが、イ・チャンドンはそのぎりぎりでなんつうんすか、1mmか0.5mmくらい、世界を浮上させる。

映画館はなんか好きになれなかったな。予告編でオッパイも銃も爆破も全然出てこないな・・・と思ってたらルート・アイリッシュという映画だけ、ドッカンバッキュンとやっててちょっと安心しました。あと、NO MORE 映画泥棒がなかったな。もしかしたら旧バージョンが見れるかもと期待してしまった。

映画館を出るとシネマハスラーの続き。

ますますハイボルテージにまくし立てる宇多丸師匠に、心底どうでもいいと思いました。

放課後ポッドキャストも同じテンションだったら困るけど、きっとそうなんだろうな。