冬の小鳥

仕事をサボって武蔵野館へ見に行ったデス。

エンディングまでの5分。特段凝ったふうでもあからさまにお涙頂戴に走るでもなく、一つ一つ分割するとなんということないシーンが続くんだが、続くのに、それなのにラストショット。そしてエンドロールが流れ始めた途端、自分でもえっと思ったくらい不意に涙が出てきた。

なんとも不思議な種類の涙だった。悲しいわけでも怒ったわけでも動揺しているわけでもないのに、こらえ切れない。ありゃいったいなんだったのかなというのがこのエントリを書いた理由のひとつ。

それにしてもいい年こいたスレた中年男を陥落させるのだから、あのラストには実際には丹念に色々仕掛けられていたはずだ。

悔しいかな、それが何なのか俺にはわからんのだけど。

父の不在と少女の成長というプロットから、「霧の中の風景」をさっきまで思い出してたんだけど、色々思い出すうちに段々憂鬱になってきた・・・(そのくらい陰鬱で寂しくて悲しい映画なんですよ。わかもの主人公であの暗さは図抜けているぜ)

霧の中の風景」の姉弟の未来は正直よくわからん。図太く生き抜いていてほしいと俺は思うが、でも、奴らはあまりに傷つきすぎた。

けど、「冬の小鳥」のジニは、絶対に明るい未来を切り開くし、周囲もそれをサポートするだろう。そういう安心感が、あのエンディングにはたしかにあった。あの涙は安心の涙だったのかも知れないっスね。

つうかそれに至る過程でも孤児院・頼れる大人・教育・友達という真綿がジニを包んで守っていたわけで、やっぱり子供は野に放ってはいけませんな・・・そのいずれも、「霧の中の風景」にはなかったもんなぁ・・・

というわけで、「霧の中の風景」のエンディングが示唆していたのはあの子らの死だったのだろうなと確信したのが今日の結論です。