行き
京急使って横浜まで出て、そこから東海道。平塚駅からは歩いた。
試合
6月から、いまどきちょっと珍しいくらいの混迷PJに放り込まれたのをいいことに、精神的な修練以外の意味がなくなっている福岡の試合は全く見てなかったんだが、散々なスタッツから想像できる通り、本当にもの悲しい試合をしていた。
とにかくトオルちゃんとクギの両サイドバックのお粗末さには言葉がない。クロスどころか、まともな縦パスの一本も出せないんだから普通じゃない。
サイド攻撃をやりたいはずのチームでサイドバックが絡むとサッカーにならんのだから、話にならない。
そういえば、ゴールキックはもうちょっとなんとかならんか。どーんと蹴って、ほとんど全て相手ボールになる。馬鹿じゃないの。
もちろん、酷いのはサイドバックやキーパーだけじゃない。とにかくサポートの動きの少なさはいまどき珍しいくらいだし、そもそもくっだらないミスの多さは確かに無駄走りする気をそぎ落とすだろう。
福岡の選手について、「仲間にボールを渡すことすらできない選手がいる」と練習を見物に来たドイツ人が言ってたらしいが、試合がはじまってからその言葉を何度も思い出した。
福岡の選手が突っ立っている試合は、そういう仲間の姿に心底萎えてるのが半分。残り半分はそれでもプレーしなきゃならないという立場から、パニックに陥ってるんだと思う。
いつも、なぜか平塚の試合はアウエー側にたくさん福岡な人がいて、昨日もそうだった。こんな苦行を好き好んで受けにくるんだから、自分もその一人ではあるんだが、本当に頭が下がる思いだ。
だけど、そんな愛すべき連中は、二点取られると萎えて、パニックになっている。薄ら笑いと突き放した怒り。たぶん、選手らと同じように。そして俺には、両者が似たような状態にあるのは偶然だとは思えないんですよ。
色々な意味で、今の福岡の体たらくの大半は、実はサポーターの姿を反映したものに過ぎないんだよなあ・・・と、自分だってその一部なのはとりあえずおいて、そう思うのですよ。
でもさ、他人のことはどうにも変えようがないけど、自分のことは変えられるでしょう?そう考えるとちょっと救いがあるような気がしませんか。
俺は都筑ディスでは人後に落ちんつもりだが、反町ヘイターとしてもちょっと自信はある。まるで興味がなかったオリンピックも、奴が半べそかいてたという一点でちょっと興味を持たせていただいた次第だ。
そしてこの日も、ザマアミロと心底笑わせてもらいました。
ありがとう、反町クン。
勝つのは勝つでウレシイことだ。愛すべき狂人たちが喜び狂う姿に俺も狂った。だけど、この勝ちが福岡にとって真に建設的な一歩につながるかというとそれは違っていて、むしろその一歩を遠ざけることになっている、ことだけは心に留めておかないといけない。
その最初の一歩ってのは、「都筑クン」をクビにすることだ。「都筑クン」が間違っても社長にならないようにすることだ。選手の補強とか監督の更迭とか、小手先にしかすぎない。
記録のために書いておくと、二点目と三点目はほとんど何も覚えてない。三点目、キーパーにあたったボールがネットに吸い込まれる0.5秒が、5秒くらいに感じられたことだけはくっきりと覚えている。
帰り