ニャンコ食いはmagnagatti

エラス・ヴェローナが降格してた(;´Д`)

全然知らなかった。

年に二回ほどyahoo italiaのSport-CalcioでセリエBの順位表を眺める。「狂熱のシーズン」で描かれていたエラス・ヴェローナの順位を確認するためだ(「狂熱のシーズン」の次の年にエラスはやっぱりしくじってセリエBに降格した)。

「狂熱のシーズン」を読んでない上にセリエB事情に疎い哀れな方のために一応書いておくと、エラス・ヴェローナはイタリア北部ヴェネト州ヴェローナ市のクラブである。1903年創立。1985年に間違ってスクデッドを獲っている。

クルヴァは「人種差別」で有名らしいが本を読むと基本的に過剰な愛と諧謔の人たちだ。ちなみによい子の皆さんに評判がいいらしいキエーヴォは同じ市の新興チームである。

エラスのクルヴァのダメさ加減ったらない。正義を愛し悪を(後だしジャンケンで)ブッ叩く品行方正なお方が知ると激怒するか黙り込むかのどちらかだろう。チームも明らかに弱い。そんなわけで、エラスには勝手に親近感を持っているのだ。まあ親近感といっても、年に二回ほど順位を確認する程度のものなんだけど。

イタリア語はまったくわからないので、万一順位表の左側に"verona"と書いてある記事が目に留まっても読まない。順位だけ見て「今年もダメなんだあ」と感心するだけである。

んで、イタリアは最近シーズンが始まったらしいのでノコノコとyahoo italiaを見てみたんである。

「へー、キエーヴォは降格したんだ」などと今更なことを思いつつ、Hellasという文字列を探してみる。が、22チームがずらずら並んだ長大なリストに名前がない。何度見直してもない。

まさかと思い調べてみたらC1に降格していた。

「狂熱のシーズン」にも記述があったが、セリエは降格圏にいるチームのなかから、最後の降格チームを珍妙な方法で決めるようだ(シーズンによって変わるんだろうけど)。セリエBからの降格チームは20位以下は有無をいわさず降格決定。で、18位と19位は勝ち点差があってもプレイアウトをホーム&アウエーでやって決めるらしい。長いシーズンの結果をチャラにするとは一体どういうことなんだと思うが、とにかく2006-2007シーズンのエラスは勝ち点では同率17位だったのに得失点差だか直接対決の結果だかで18位になり、19位のスペツィアという聞いたこともないチームとプレイアウトを行って負けたらしいんである。それで降格なんである。17位って順位も大概だとは思うが、とにかく最悪である。

英語版wikipediaを見てみるともうパストレッロはいないんだね。

パストレッロというオッサンは今どきのサッカービジネスにオーナーとして関わってもしかたねえだろうという人である。

単純に金がない。いまどき弱小チームのアガリでテメエの生活を成り立たそうとした男である。このオッサンのせいでエラスは縮小均衡に陥り弱体化していったようだ。違うかも知れないけどとりあえずそう思ったほうが面白いのでそういうことにしておこう。

wikipediaイタリア版にはB降格後のエラスについてもう少し詳しく書いてある

昇格のチャンスにあったときもパストレッロの馬鹿チンは冬のマーケットで選手を売って小銭を稼いだ挙句順位を落としていたようだ。違うかも知れないけどとりあえずそう思ったほうが面白いのでそういうことにしておこう。

大体以下のようなことが書かれているみたい・・・・(googleさんにイタリア語を英語へ翻訳してもらってからさらに意訳してるのでなんか変なところが一杯あるがまあだいたいこんな感じってことで)

意訳ここから______________________________________________________

低迷そしてC1降格

二年後の2003-2004シーズン、エラス・ヴェローナセリエBでのシーズンを通して、C1への降格争いをすることとなる。ファンはいつもどおりの情熱で運命をともにし、シーズン終盤の連勝でセリエB残留を果たす。

# http://calcio.main.jp/serie_b_data/2003_2004/schedule_44.html

# たしかに最後の三試合、ようやく三連勝してる。

2004-2005シーズン、黄青のチームは一時期三位となるなど進歩を見せる。冬の移籍マーケットで何人かの選手が移籍すると成績は下降していったが、エラスはアスコリから1ポイント差の七位を維持することに成功する。

2005-2006シーズンはジャッロブルーにとって失望のシーズンとなる。主に監督:マッシモ・フィッカデンティの力により降格は逃れたものの、戦力の流出は続いた。

前年にチームを救った有用なプレイヤーたち(アダイウトン・ムナーリ・カッサーニ・ゲルバゾーニ・ビアジなど)の相次ぐ移籍のあと、2006-2007シーズンはファンにとって希望のない開幕となった。

# 英語版とニュアンスが違う。自動翻訳がしくってるのか?

Pietro Arvedi d'Emileiはパストレッロからチームを救うことに熱心だった弁護士セルジオ・パグリージを社長に据えたが、チームの順位は低いまま我慢のシーズンとなる。2006.12.22にホームのモントバ戦で0-3と完敗後マッシモ・フィッカデンティを解任したがチーム状況は好転しない。後継として招聘されたのはジャンピエロ・ヴェントーラだった。シーズン最後の日、プレイアウトにてスペジアに勝てば残留だった。アウエーで1-2、ホームで0-0、セリエC降格となる。

# 弁護士云々のくだりはよくわからんがとりあえずそのまま載せておく

______________________________________________________意訳ここまで

パストレッロがいつやめたのかがわからん。

今はジェノアで雇われ社長をやっているようだ。

http://news.livedoor.com/article/detail/2953249/

http://blog.livedoor.jp/fillipo9/archives/50728067.html

よくわからんがパストレッロ バッファンクロ。

それにしてもエラスよ。「悪は滅びる」ではあまりにつまらない。なんとかしろよ。