メシ食ってXXXXして寝るだけ

今の福岡は端的に言って場当たり的だ。基本設計があるんだかないんだかわけがわからんし、あっても前提とされてないようで、その場を繕うためなのかなんなのか意図がわからない詳細設計書ばかりが連発されている。

とてもとても、見通しが悪い。いったいどこへどうやって行きたいのか、舵を取ってる人間がわかってない。方針も方式も見失っている。

顧客からすると、我慢ならんことだろう。責任者以下、即刻プロジェクトルームへの出入り禁止を申し渡したいところだ。現にそういう主張をしている人は多いようだし、顧客と呼ばれると抵抗を感じる俺も少なくとも長谷川治久はさっさと自社へお引取り願いたいと思う。

なんでバロンを連れてきたのか。なんで佐伯。なんで飯尾。久藤。吉村。金古。藪田。布部。松下。長野。グラウシオ。中村。長谷川。松田。川勝。熊倉。都築。なんでなんでなんで。今になって思う。これらの去就の理由は、どれもあるようでなかったのだ。

福岡はずっと場当たり的なままだ。今にはじまったことじゃない。熊倉時代、場当たり的じゃなかったように見えたのはたまたま熊倉さんが腰が重い人だったからで、そしてたまたま松田さんが腰が重い人だったからで、そしてそして、何よりカネがなかったから。そして、熊倉さんを社長に据えた誰かも、明確な方針があって熊倉さんを選んだわけじゃないんだと思う。熊倉さんは適当に選ばれたのだろう。現社長の都築さんが適当に選ばれたように。

クラブに、そして社長を選ぶどこやらに方針とかビジョンとか2001年の痛恨事、そして日立台の骨に沁みるような沈黙が脈々と受け継がれているのなら、社長が変わっただけでこんなにメチャメチャになることはない。

熊倉時代に変わったように見えたクラブも、実は長い目で見ると全然変わってなかったってことだ。

良し悪しは別にして、日本の役人が面白いのは、世代を超えて目標とか目的が執念深く引き継がれていくことだ。税制は長い年月をかけて旧大蔵の連中が思い描いたとおりになった。アタマの次官から末端の役人まで、いったい何代入れ替わってるのだろう。岐阜県や北海道警でバレた裏金システムは、かなり長い年月続いたものだった。構成する人間は変わっても、役所は役所のままというのがなんとも面白い。どういうメソッドを使えばこういう組織の記憶を維持できるのか、健忘症みたいなアビスパとは好対照だ。

こういうクラブだから、仮に今年急に勝ちだしてJ1に残留してしまったとしても、来年か再来年にはしくじる。どうせコケるなら今年コケたほうがいいんじゃないかな、と申し訳ないけど俺は思ったりする。間違って残留して長谷川が居座ったりしたら来年も不愉快な思いをしなけりゃならない。

だけど、ビジョンがないアビスパはダメクラブだ、組織としてなってない、だから変わらないといけない!!! と、今の俺はあまり思わなくなった。

しょうがねえやヤレヤレ、という感じ。あーあ、やっぱりそうだよな、という感じ。どうしようもねーけどまあそんなもんだよな、という感じ。と言っても諦めや卑下とはちょっと違う。そういう特徴があるクラブなんだよな、と改めて認識したといえばいいだろうか。

アビスパにはビジョンがない。夢がない。反省もない。とてもダメだ。なんだか俺みたいだと思う。